国の防人19号2022-11-17_134915
安濃豊氏のアジア植民地解放史観、日本戦勝史観を検証する続編です。

初めて見る方は論旨がより理解しやすくなりますので、前編の「自虐史観、敗戦指数について」を確認ください。

私はアジア植民地解放史観は正解であるが、日本戦勝史観は行き過ぎで、日本の国益にならないと思っている。

アジア植民地解放史観と日本戦勝史観はイコールにならない。

尚、日付が新しいものが私の現在の見解である。

 

敗戦指数の評価は妥当なのか

●雑誌國の防人19号で、敗戦指数の16項目を集計した得点は、日本がプラス15点、アメリカはマイナス50点を付けている。

安濃氏は降伏文書調印式は単なるセレモニーで無視すればよい。
日本は負けたことにしたので見かけ敗戦国であるが、実質戦勝国である。アメリカは見かけ戦勝国であるが、実質敗戦国であるとしているが、言い得て妙なる表現である。


しかし、日本は見かけ敗戦国だから実質戦勝国であるとするのは早計である。

剣道で「肉を切らせて骨を断つ」という言葉がある。

自分は傷つくが、それ以上に相手に打撃を与えようとする覚悟の言葉であるが、大東亜戦争はアメリカの肉を切ったが、日本は骨を断たれた。決死の覚悟であったが、逆の結果となったと言える。

 

評価項目は日本に有利な項目を挙げ、アメリカに不利な項目を挙げれば、結果は左右できるからである。

●「戦後、大戦の影響で新たな戦争が誘引されたか否か」では、イギリスはマイナス10点、フランス、オランダはマイナス5点となっている。インド独立運動、インドシナ独立戦争、インドネシア独立戦争などの植民地独立戦争、暴動を理由に挙げている。

アメリカにはマイナス10点を付け、朝鮮戦争、ベトナム独立戦争を理由に挙げている。


この点は歴史観に関わるが、ベトナム戦争はフランスが負けた後にアメリカが介入し、共産主義の浸透を阻止するために戦ったが、米ソ冷戦下で起きたことである。

大戦終了後直ぐに米ソ冷戦は始まっている。原爆投下の目的を考えると、水面下では戦争末期に既に米ソ対立は始まっている。

日本が武装解除して満州・中国に軍事空白が生まれ、その後にソ連が侵攻し中国共産党が勢力を盛り返すが、大戦の影響があるのは確かであるが、米ソ冷戦までを評価項目に入れるのは妥当であろうか。

この考えを入れるならば、シナ蒋介石政権は台湾に逃亡したことでマイナス評価をしているが、その後に毛沢東政権が出来てしまったことは日本にとってマイナスのはずだが、この点は反映していない。

毛沢東は日本軍が蒋介石と戦い弱体化したから、共産軍は勝つことが出来たと日本に感謝していたが、本音の発言と思う。


これは大東亜戦争が何時まで続いていたのかという時代区分の歴史認識に関わって来る。

やはり米ソ冷戦という状況は、大東亜戦争、第二次世界大戦終結後に起きた新たな時代であり、敗戦指数に含めるべきではないと思う。

国民がこれまで抱いて来た想いをサンフランシスコ講和条約の時点で評価すれば負けたと思っているし、現在の時点から見ればせいぜい引き分けだったと言うのが妥当な評価ではないだろうか。

 

日本はアメリカの占領政策を受入れた。

昭和天皇は戦後直ぐに戦争指導体制が悪かったことを「独白録」で語っている。

「独白録」は1990年に明らかになったが、東京裁判に際し戦犯訴追を免れるようにマッカーサーに働き掛ける目的があった。

マッカーサーと昭和天皇は初めから日本統治にあたり、天皇存続で妥協していた。


つまり自虐敗戦史観の元となっている東京裁判史観を日本が受け入れたことは妥協の産物なのである。

大東亜戦争の評価は誠に不思議であるが、戦争によって負けたことが日本に良い結果をもたらしたと国民は思っている。